2012年03月07日

豊かな生活

先日、とてもおいしい焼き鳥屋さんに行った。
焼き鳥は好物のひとつなので、結構色々なお店に行くのだけれど、
その店は、もしかしたら今までの中で一番おいしかった店、と言っていいかもしれない。

肉も野菜も、生でも出せるような新鮮な素材を、
ていねいにじっくり、時間をかけて焼く。
一回いっかい、網の下の土台(?)の焦げをこそげ落とす。
使い込まれたヘラのような道具で、ズリ、ズリとこそげ落とす。
きれいになったところで、新しい網を置き、
これまた使い込まれた、でもよく手入れされたハケで
油を(良質な油を)網にゆっくりと塗る。

そしてじんわりと、時間をかけて焼く。

そうして出された焼き鳥たちは、「ん?」と、一瞬会話を止めて
手元の焼き鳥を確認してしまうほど、おいしかった。

「こんなにシンプルな食べ物なのに、こんなに違うものなのか」
と思うとともに、
「シンプルだからこそ、違いが歴然とするのかも」と思い直してみたりして。

その後、
一緒に行った友人が、私の好みに合わせて焙煎してくれた珈琲豆をくれたのだけど、
それがまた、美味しかった。

私はいつも、近所の珈琲やさんに好きな豆を注文し、欲しい量だけ焙煎してもらっている。
だから比較的美味しい珈琲を飲んでいると思うのだけど、友人の豆は何かが少し違った。

そもそも、豆の膨らみがきめ細かく、美しい。
味も、透明感があるのにコクも深みもあり、薫りもいい。でも酸味とか苦みは強くなく、とてもバランスがいい。

そのことを伝えると友人は
「コクがあるのが好きって言ってたから、深煎り、でも深すぎないようにして、『美味しくなあれ、美味しくなあれ』って思いながら焙煎したからね」と言っていた。

先の焼き鳥屋さんもそうだけれど、
結局、ていねいにつくられた物というのは、
たとえそのプロセスを見ていなくても伝わるのだな、と思った。
なぜなら、そこには「大切に扱われている」「ていねいにつくられた」ものだけがもつ、独特の空気があるから。

そしてそういうものは、粗末にはできなくて、やっぱり、ていねいに接してしまう。

市場価値が高いとか、たくさんとかではなく、
ほんとうに気に入った、ていねいにつくられた物を、必要なだけ。
それを、大切に扱う。

私にとって豊かな生活とは、そういうことだ。
と、珈琲を飲みながらしみじみ思った。

rose.jpg
posted by 3Way at 14:38| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

「もっとも大切なことは自分自身にうそをつかないということ」

いま、とても小説を読みたい時期です。

告白すると、実は私はあまり小説を読んだことがありません。
自分でもそのことに気づいたのは本当にごく最近で、
それまで私はあらゆる本を一緒くたにして、「自分は本をたくさん読むほうだ」と思っていました。
(実際、毎月の本代が2万円以上、という時期もしばらくありましたし)

しかし、ふとしたことから、「自分が読んでいたのは情報だった。物語としての本は、ほとんど読んでいなかった」と気づいてしまいました。(そしてちょっとびっくりしました)

別にそれはそれで良いのですが、(というか、そもそもこういうたぐいのことは、良いとか悪いとか言うことではないのですけれど)なんにせよ、

いまの私は、
のどが渇いていることに気づいてしまった人が、そのときから突然強く水を欲するように、
小説を欲しているのです。

と、いうことをまったく知らない友人が突然、
『カラマーゾフの兄弟』の新訳版は非常におすすめである、と教えてくれたので
読んでみようと思っています。

The-Brothers-Karamazov.jpg

“もっとも大切なことは 自分自身にうそをつかないということです。
自分にうそをつき、そのうそに耳を傾ける人は、
自分自身や、周囲の人の中から真実を見分けることができなくなるでしょう。
それはやがて、自分に対しても他人に対しても尊敬の念を失うことになるのです。
そして、尊敬の念を持てなくなった人は、愛することをやめてしまうのです。”
『The BrothersKaramazov』(訳:3Wayフクモト)
posted by 3Way at 15:50| Comment(4) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

好きなひと

最近しみじみ思うことがある。
それは、「私は物語を感じるひとが好き」ということ。

男でも、女でも。

でも・・・
そもそも『物語を感じる』というのはどういうことなんだろう?

生活臭さを感じないということなのだろうか。だとしたら、お互いをよく知る古くからの知り合いより、まだ知らないことの多い新しく知り合った人の方が『物語を感じる』ということになる。

「いや、それは違うな。そう言うことではないんだな」色々な人の顔を思い浮かべてみて思った。

なぜなら私の中で「物語を感じる」筆頭のひとりは、何回も寝泊まりを一緒にし、語り合い、よーく知っている大学時代の友人だから。
彼女の実家にも何回か行ったことがあるし、彼女の家に泊まりに行ったことも何回もある。一緒に別の友人の家に泊まって雑魚寝して朝まで飲んで語ったこともある(まだ若くて二日酔いとは無縁だった学生時代に)。

そんなに古い、よく知る友人なのに、彼女を見ると、思い浮かべると、私はフランスの小説を読んでいるような気分になる。

一体なぜなんだろう?彼女のどこに、物語を感じるのだろう?

ちなみに、本人にそのことを伝えても、「そんなことを言うのはフクモトだけだ」と照れながら言うのだろうな、ということは分かる。
(なぜならこの間うちにきて料理を作ってくれた時、「ホントに料理上手だよね」といったら、「そんなこと言うのはフクモトだけだよ。醤油とか入れる時にスプーン使うからそういう風に見えるんじゃないの?」と照れくさそうによく分からないことを言っていた。)

それからもう一人、私の中であっとう的に『物語を感じる』ひとがいる。その人も、ある意味学生時代の友達。

この2人の共通点を考えてみて思い当たるのは、2人ともアーティストだ、ということ。(そしてビール好き、ということ。)
もっとも、2人とも世の中的には事務職的な”ふつうの“仕事をしているのだけれど、つまり、“アーティスト”を生業としているわけではないのだけれど、でも2人ともオフの時間で作品をつくったり、表現活動をしている。
私に言わせればそれは立派なアーティストだ。(アーティストだ、作家だ、といっても実は商人、という人も世の中にはたくさん存在する。別に商人が悪いということではなく、感性がどこにあるのか、という話)

多分、私は彼らの目を通して見える世界、感性を通して感じる世界が好きなのだろう。
そんな風に、自分独自のフィルターを通して世界を見ている人というのは、何とも言えない素敵な雰囲気がある。

偶然にも、3月にはその2人と「久々に遊ぼうではないか」という話になっているので、とても楽しみ。(2人同士は友人ではないので別々の日に、だけれど。)

(そう言えば、何年か前の夏、昼間からビールを飲んで、井の頭公園のスワンに乗ったな、と思い出した。「ここは男女だと分かれるから女子同士でしか乗れないし」とか言いつつ。やっていることはオヤジだから、やっぱり『物語を感じる』ことと、生活感は関係ないな。)

久々のブログなのに、よく分からない書き込みだけど。
まあいいでしょう。
posted by 3Way at 01:20| Comment(5) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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