2012年02月25日

好きなひと

最近しみじみ思うことがある。
それは、「私は物語を感じるひとが好き」ということ。

男でも、女でも。

でも・・・
そもそも『物語を感じる』というのはどういうことなんだろう?

生活臭さを感じないということなのだろうか。だとしたら、お互いをよく知る古くからの知り合いより、まだ知らないことの多い新しく知り合った人の方が『物語を感じる』ということになる。

「いや、それは違うな。そう言うことではないんだな」色々な人の顔を思い浮かべてみて思った。

なぜなら私の中で「物語を感じる」筆頭のひとりは、何回も寝泊まりを一緒にし、語り合い、よーく知っている大学時代の友人だから。
彼女の実家にも何回か行ったことがあるし、彼女の家に泊まりに行ったことも何回もある。一緒に別の友人の家に泊まって雑魚寝して朝まで飲んで語ったこともある(まだ若くて二日酔いとは無縁だった学生時代に)。

そんなに古い、よく知る友人なのに、彼女を見ると、思い浮かべると、私はフランスの小説を読んでいるような気分になる。

一体なぜなんだろう?彼女のどこに、物語を感じるのだろう?

ちなみに、本人にそのことを伝えても、「そんなことを言うのはフクモトだけだ」と照れながら言うのだろうな、ということは分かる。
(なぜならこの間うちにきて料理を作ってくれた時、「ホントに料理上手だよね」といったら、「そんなこと言うのはフクモトだけだよ。醤油とか入れる時にスプーン使うからそういう風に見えるんじゃないの?」と照れくさそうによく分からないことを言っていた。)

それからもう一人、私の中であっとう的に『物語を感じる』ひとがいる。その人も、ある意味学生時代の友達。

この2人の共通点を考えてみて思い当たるのは、2人ともアーティストだ、ということ。(そしてビール好き、ということ。)
もっとも、2人とも世の中的には事務職的な”ふつうの“仕事をしているのだけれど、つまり、“アーティスト”を生業としているわけではないのだけれど、でも2人ともオフの時間で作品をつくったり、表現活動をしている。
私に言わせればそれは立派なアーティストだ。(アーティストだ、作家だ、といっても実は商人、という人も世の中にはたくさん存在する。別に商人が悪いということではなく、感性がどこにあるのか、という話)

多分、私は彼らの目を通して見える世界、感性を通して感じる世界が好きなのだろう。
そんな風に、自分独自のフィルターを通して世界を見ている人というのは、何とも言えない素敵な雰囲気がある。

偶然にも、3月にはその2人と「久々に遊ぼうではないか」という話になっているので、とても楽しみ。(2人同士は友人ではないので別々の日に、だけれど。)

(そう言えば、何年か前の夏、昼間からビールを飲んで、井の頭公園のスワンに乗ったな、と思い出した。「ここは男女だと分かれるから女子同士でしか乗れないし」とか言いつつ。やっていることはオヤジだから、やっぱり『物語を感じる』ことと、生活感は関係ないな。)

久々のブログなのに、よく分からない書き込みだけど。
まあいいでしょう。
posted by 3Way at 01:20| Comment(5) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

面白くなってきた。

今年は、
いや、今年の私の年齢は、人生にとってとても重要な年だと、10年位前にある方に教えていただきました。

その方は当時60代(?)。
表にはあまり出ませんが、日本でも世界でもフィクサー的な存在の方。

「この人が言うということは、本当なんだろうな。その年、何があるんだろう?楽しみ」

そう感じたので、10年近くたった今もずっと覚えていました。

そして今年、私は“その年”になりました。

すでに、色々面白いことが起きています。
今までも私の人生は面白かったけれど、次元が違う。
何か出来事があった、とかそういうレベルではなく、
もっと根源的な部分で、変わってきている。
面白いことが起きている。
ドラスティックな変化が起きている。

しかも面白いのが、これが私だけではないこと。

年齢の違う私の周囲の素晴らしい仲間、心友、旧友。
みんなに起きているみたいなのです。

すごいエネルギーの渦を感じます。

日本は、世界は、未来は、これからどんどん面白くなっていく。
最高になって行く。

それを感じてワクワクします。

自分の道もこの年になってやっと、ぼんやりと、でも確かに、見えてきた感じがします。
今までの仕事、なぜ、PRの仕事をしていたのか?
なぜあの人と出会ったのか。なぜ、私は私なのか。
すべてがつながってくるのを感じます。

「つなげる」を通して面白いことをする。
つくる、伝える、は「つなげる」ためのもの。


今までのすべての、出会い、目に見えるもの、目に見えないもの、ここまで導いてくださったもの、
すべてに、感謝。

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posted by 3Way at 09:27| Comment(4) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

しっかり知る前に判断してはいけない。

パッと見の印象や、少し接しただけでは本当はわかりません。

もちろん、第一印象やインスピレーションも大事な情報を与えてくれますから、その辺のバランスが難しいところですが。

「自分が納得するまで自分で接する前に判断してはいけない」
ということはマイケル・ジャクソンさんについて誤解をしていたときに学んだハズなのに、
最近また同じ学びをしました。

パッと見で「この人はこう言う人だな・・・」と判断していた人がいたのですが、少し長時間ちゃんと接してみたら、その人の魅力、その人の本質にある素直さ純粋さに気づきました。

人間誰でもクセがあると想います。
それは個性でもあるわけで。

そしてそのクセが、人によっては合う人、合わない人がいるのも私はいいと想います。

ただ、「この人はこういう人!」と決めてかかってはいけないな、というのをすごく感じました。
そうすると、その人のクセの奥にある、美しさに触れることができなくなってしまう、気づくことができなくなってしまうから。

みんな、それぞれに、一生懸命生きているのですよね。
それぞれの、いろんな事を抱えながら、
一生懸命生きている。

表面的クセがあったり、ズルイっぽいところがあったり、自分にとって気に食わないところが在ったりしたとしても、
その奥、根底には必ず美しい純粋なものがある、どんな人にも。

と言うことをしみじみ実感しました。

そしてまた逆に、自分のことを、誰かが「クセがあってあの人苦手」と思っている人もいるハズで、そしてそれも当然のことだから過剰に気にする必要はないわけです。

あとは、コーチングを勉強していたときに実習で体験したことですが、たとえ無言で表情にも出さないとしても、
相手にどんな気持ちで聞いているか、というのは全部伝わります。

だから、こちらがオープンになって、相手を全肯定し、相手の存在に祝福を贈る、相手の存在を心から喜び、向き合っていると、相手は必ずその人の中にある美しさを輝かせますね。

ということも、しみじみ感じました。

要はやはり、世界の見え方、他者の見え方というのは、自分がどういうふうに人と接しているか、世界と接しているかを表しているということですね。

☆どんな時でも、誰と接するときでも、相手がもつ美しさを感じられる人でありたい☆
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posted by 3Way at 12:40| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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